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病院行脚 [糖尿病・身体のこと]

先日の金曜日、私は1日で3つの病院に行ってみました。
まさに病院から病院へ。移動距離もなかなかです。

1、午前中、眼科。

  まずは、もう1年以上、お世話になっている、都内の某眼科へ。
  私は視力が両眼とも、0.05しかないので、普段は1日使い捨てタイプのコンタクトレンズ
  「ワンデーアキュビュー」を使用しています。
  そして、月に1回、病院に行って処方してもらっているのですよ。
  以前、近場の某コンタクトレンズ専門店に通っているときにも、
  もちろん眼科は併設されておりましたが、にも関わらず、何か、うさんくさくて、(失礼!)
  目の調子が悪くても見過ごされたりすること、などが続き、
  頻繁に結膜炎とアレルギーを起こしていたので、替えてみました。
  眼の健康を考えると、ちょっとくらい高くても、
  信頼できる眼科専門医のいる病院のほうが安心ですもんね。

  それに、高いって言っても、1箱30枚で¥2500ですから、そんなに高くないでしょ?
  本当、病院で購入するのはオススメです。

  この日は、最近、CMで見かける「ワンデーアキュビュー モイスト」が気になっていたので、
  いつもの病院で取り扱っていたら、是非試そう!と思っていました。
  あと、「ワンデーアキュビュー ディファイン」「ワンデーアキュビュー カラー」とかも気になる!

  そんなこんなで、詳しくは別記事にて。。。
     ( リンク先参照 → 「 コンタクトレンズ・ア・ラ・カルト 」 )

  ●ACUVUE(Johnson&Johnson)
    → http://acuvue.jnj.co.jp/index.htm

2、午後、内科(内分泌外来)。

  毎月恒例の定期検診。主治医に、この1ヶ月間の血糖値の測定表を見せ、
  前回の採血の結果を貰って、HbA1cが上がったとか、下がったとかを、確認。
  (補足。1ヶ月の血糖値の平均のようなものです。健康な人は5.8%以下。)
  この日は、6.2%。ちなみに前回は、5.6%!!!
  (前回は、あまりに良すぎる結果なので、主治医に心配されました・・・。)
  そして、こんなことがあった、あんなことがあったと1ヶ月の報告。
  忘年会での失態などを話すと、「理由が分かっているなら良いんじゃない?」と
  言っていただく。。。
  追加打ちの件も、再度確認してみると、了承は得られなかったですね。
  理由は簡単。それを始めるとキリがない・・・。確かに。
  でも憧れる(苦笑)。それでケーキとか、盛り盛り食べたい!!!
 
  いやいや、何かね、主治医曰く、私の血糖値の結果を見ていると、
  インスリンと食べ物の関係が明快なんだそう。
  決められたインスリンで血糖値はストンと綺麗に落ちているし、
  食べ過ぎて血糖値が高いときも、理由がそれ!とわかる。
  だから、追加打ちで、これを下手に崩すと、もったいない!とのこと。

  誉められてる?誉められてるの???(笑)
  これはね、食事が良いんだと思います。本当に母に感謝です!
  仕事柄、食事の時間も滅多にズレないですしね。職場にも感謝!!!
 
  他のみなさんは、食べる時間も、量もぐちゃぐちゃだし、
  インスリンを決めて打つというのは、結構難しいんだそう・・・。
  確かに、私も、そんなに食べていなくても血糖値が高いときがありますが、
  風邪を引いてた、とかね、理由が分かっていたりするので。

  そういうことなので、しばらくは、この定量打ちスタンスで頑張ってみたいと思います。

  そして、次回の予約をして、それまでに必要な分の消耗品を処方してもらう。
  忘れずに、「注射器も、もう1つ下さい。」と、お願いをする。
  最後に、採血・尿検査をして、終了。
  この結果は来月にならないと分からないのが難点。。。

  さて、ここまでで、大体1万円くらい。
  薬局でインスリンを貰ってきて、併せて1.5万円弱。
  決して安い値段ではないけれど、
  これで、自分の未来を、約1ヶ月分買えると思えば安いもんです。

  それにしても、来月の採血の結果は悪いだろうな・・・。
  出来れば、HbA1cは7.0%overは、したくない!
  それが、今の私の目標でもあります。

3、夕方、産婦人科

  妹の入院している病院へ。移動・移動・・・。
  行く前に、彼女に「何か欲しいものはない?」と訊いたところ、
  『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』(携帯版)が、欲しいとのこと。
  確認してみたところ、まだ発売されてない模様・・・。
 
  買えません。(苦笑)

  そもそも、最初に携帯版の『ハリー・ポッターと賢者の石』を買ったのは私。
  友人にハリー・ポッターシリーズを借りて読み、すごく面白くて。
  即購入を考えたのだけれど、あれって、かさばるじゃないですか・・・。
  そんなときに、携帯版が発売されたので、こちらならと、即購入しました。
  彼女は、それを読み、やはりハマッてしまい、
  そのままプレゼントしたのがきっかけなんだけれど。

  この辺りのこと。
  書いていたら、長くなってしまったので、別記事にします。
 
  そんなこんなで、妹には、代わりに、ロアルド・ダールコレクションの第1、2作目。
  『おばけ桃が行く』『チョコレート工場の秘密』を購入。
  『チョコレート工場』のほうは、ご存知、映画化された『チャーリーとチョコレート工場』の原作。
 
  でも、昨日、知ったのですが、シリーズの第5作目。『ガラスの大エレベーター』。
  これが、『チョコレート工場の秘密』の続編なのですね。
  プレゼントだから、こちらにすれば良かったな・・・。
 
  あと、偶然、本屋で見かけた雑誌『Mammoth(マンモス)』 ~for Mama & Kids~
  可愛い雑誌です。年2回発売らしい。
               
                     ↑
             ※Fujisanマガジンにアクセス
             (新しくウィンドウが開きます。)

  と、お花を購入。(@Aoyama Flower Market)
        

  以上のモノを持って、ごそごそと病院に行ってみると、
  全室個室で、部屋にトイレまでついている。おぉ~。リッチ!
  しかも、病院の奥には、さらにスペシャルな部屋が!
  絨毯の色が違う。ドアもゴージャス!
  何でも、あと「1万円/day」、足せば入れたらしい・・・。
  「もう産む予定はないんだから、入っておけばよかったのに。」と、
  旦那さんに、あとから言われたことを、妹は大変悔しがっておりました。
  確かに、「早く言ってよ~。」って、感じよねぇ~。
  そして、もう来ることはないという、妹夫婦の覚悟。なんと言っても2人目ですからね。

  そして、姪っ子!ちっちゃい!2500g強だということでした。
  昼間はお母さん(妹)と一緒に過ごして、夜は新生児室で寝るんだそう。
  妹に了承済みで写真を。
        
  ちっちゃいおテテ!!!
        
  興奮して寄りすぎた・・・。

  それにしても、妹と2人だけ(あ、3人か・・・。)で会うのは、久しぶり。
  お互い、あれこれ話したいことがあるような気がするも、思い出せない。
  「こうやって肝心な話をしそびれるんだよね・・・。」
  なんて、言って、2人で笑った。平和な一時。
  プラス「キィ~。」という姪の声。

  姪は、私がいる間、「キィ~キィ~。」と、しきりに何か言いたいようでした。
  生まれてから3日目。
  彼女には、一体どんな世界が見えているのだろう?
  自分も通ってきた道なのに、まるで覚えていない。
  たまに、赤ちゃんのころからの記憶が残っている人がいるようですね。
  (乙葉さんが産道から出てくるところから全部覚えてるって、TVで言ってました。)

  そして、「夕飯を一緒に食べて~。」というのが、妹のもう一つの希望。
  その気持ち、わかるよ。
  個室で、毎食一人で食べているとなると、余計だね。
  狭く、慣れない部屋で食事をするのは、やっぱり寂しい。

  私も入院中、同室の人が退院して、一人になったとき。
  何だか、無性に寂しかったもんなぁ・・・。

  で、食事の時間。
  おぉ~!!!何か、豪華!!!
  妹の食事。
        
  私の病院食とは違う!(苦笑)
  私のは、それでなくても1400kcalの糖尿病食でしたからね。
  しかも、まだ歩けなくて、部屋で食べてた時のです。
  ご飯をおかゆにしてもらっていました。
        

  ・・・。
  圧倒的に、おかずの量が違いますね。
  写真の撮り方もまだまだ、だな。
 
  さて、頂いた夕飯の肝心のお味は、Good!!
  それがこの病院の売りでもあるようでして、しかも、
  こうやってお見舞いに来た家族に、夕飯をサービス(無料)で出してくれるのだそう。
 
  妹はあまり食欲がないみたいで(一日部屋にいて動かないから)私よりも残していました。
  お産してから、まだ3日しか経っていないので、痛みもあるよう。

  それしても、女性というものは、この出産にまつわる痛みを忘れられる生き物なんだそうだ。
  痛かったなぁという記憶は残っていても、それがどれくらい痛かったのか、忘れてしまう。
  だから、何人でも産むことができるんだそうだ。(可能であれば・・・の話だが。)

  すごいね。

  私、子供、産めるのかなぁ~。。。(色んな意味で。)
  全くもって、ふがいない、おねーちゃんでした。


最近の私 [糖尿病・身体のこと]

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 2005年12月9日。
   改めて読み返すと、分かりにくい部分が多々、見受けられたので、書き直しました。
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最近の私は、ちょっと病気のことをナメてかかっているのではないかと思われることを
いくつか立て続けにおこしているので、戒めに、その辺りのことを書いておこうと思う。

まず。
先日あった職場の忘年会にて。
忘年会の時期うんぬんは置いておいて、そこで出てきたコース料理を全て平らげた私。
(だって美味しかったんだもん・・・。)
家に帰って血糖値を測ってみると。

「424mg/dl」。

アホかっ!!!高すぎじゃ!!!
(補足すると、健康な人は110mg/dl以下。)
・・・明らかに食べ過ぎである。
つまり、打ったインスリンの量に対して、食べ過ぎている。
ここで、「追加打ち」という、インスリンをさらに追加で打つ手法もあるのだが、
私はまだ、追加打ちの件で主治医に了解を得ていないので、やらない。
よって、いつも、その後の食事の量で調整するのです。
翌日の朝食前、222mg/dl。
寝ているだけで、202mg/dlも下がったことになるが、まぁ、よし。
お昼前、116mg/dl。
おっしゃ!ここで、取り戻した。

とは言え・・・、である。
本当に気をつけねば。

言い訳をすると、食べている途中、低血糖になったこともあり、
後半に、ちょっと食べて過ぎてしまった感もあるのだが。

食べているのに低血糖?
と思いました?
そうなんですよ。。。

ここで、コース料理っていうものを、栄養学的に見てみる必要がありますか。

まず、最初に出てくるのは前菜。次に副菜・主菜など。
これらは、基本的にタンパク質や、野菜がメイン。
肉・魚・チーズetc・・・。みんなタンパク質です。
そして、それが終わったあと、ご飯ものなどの炭水化物が出てくる。
さらに、最後にデザート。
というのが、大抵のコース料理の出てくる順番ではないでしょうか。

で、血糖値を上げる栄養素は、炭水化物(糖分)。
タンパク質や、野菜だけでは血糖値は上がらないのです。
よって、インスリンを注射して、しばらく(私の使っているインスリンの場合は15分以内。)
炭水化物・糖分を摂らないと、いくらタンパク質や野菜を食べていても、
肝心の血糖値を上げる要素である糖分が体内に無いので、当然低血糖になる・・・と。

つまり、いつも通りに食前にインスリンを打ってしまうと、炭水化物が出てくる前に、
15分経ってしまい、低血糖になるということです。

少し、ご理解いただけましたでしょうか?

普通は、体内の糖分に反応してインスリンが膵臓から出てくるわけですが、
糖尿病患者は、その「反応して出す」機能がないわけだから、
自分で自分の糖分の摂取量に合わせて、手動でインスリンを打つんですね。
だから、コース料理のときなどは、いつも打っている量を一回で打たずに、
何回かに分けて、打つと、低血糖にならずに済むとか、色々な工夫をしたりします。

ただ・・・。

私は、食事中に何回も針を刺したくないし、
そのたびに、お腹を出すのもねぇ・・・。トイレに行ってばかりなのも、ねぇ・・・。
ということで、いつも一回打ち。(苦笑)
あとは、ジュースを別途注文しておいて、低血糖になったら飲むということをしてみたりします。
これが私の考えうる一番スマートな方法か、と思うのですが、
テーブルの上には、よくばりな感じで、ウーロン茶とジュースが並ぶことに。
ワイングラスがいっぱいあると、その辺、誤魔化されて良いんですけどね。

で、なんと!このときは、その辺のことをすっかり忘れていて、
ジュースを注文し忘れました。
そして、上記に書いたように、一回打ちなので、案の定、低血糖に。

この日は、食べる前に測った血糖値が高めだったこともあり、油断したかなと思います。
炭水化物が出てくるまでに、何とか血糖値を保てるかなと思ったのです。
だけど、炭水化物の料理が、思っていたよりも出てくるのが遅かった・・・。

とは言え、低血糖になっても、すごく下がったとかではなく、
ギリギリ間に合ったみたいで、倒れるとかは無く済みました。
最悪、倒れるほどマズイ状況になりそうなときには、
トイレにいってお菓子を食べるつもりではいましたが、
(過去に経験済み。非常に寂しいです。食事にきているのに、トイレでお菓子なんて。)
それも必要なかったので、良かった、良かった。
って、あくまでも結果論・・・。

ともかく、途中から血糖値が上がっていくのを実感。
一応、一安心?
と思ったら、ここで、タンパク質・脂質が役目を果たす・・・。
上がった血糖値を下がりにくくするんですね、この栄養素たち。
しかも、たくさん食べてしまっている、タンパク質!!!
さらに、低血糖だったからと、何となく炭水化物の料理も完食。
果てはデザートにまで、手を出し・・・。
残したけれど、隣に居た甘いもの好きな方に、あげれば良かったなぁ。。。
デザートを食べるかどうか、悩んでいたら、「要らないの?要らないの???」
と、訊かれたので、多分、食べたかったのじゃないかと思います・・・。

で、高血糖まっしぐら・・・。一直線!

なんてまぁ、面倒なんだ!
そして、なんてよく出来ているんだ、カラダって。
つくづくそう思う。

もちろん、自分のペースで食べてよい食事だと、
最初に炭水化物を食べられるので、こんな面倒なことはないのですが。
でも、飲み会とかだと、いきなり「お茶漬け!」みたいな、
野暮なことをせねばならないけれど。(哀しい・・・。)
飲み屋のメニューも、基本的にタンパク質ばっかりですからねぇ~。

そして、次の失態。。。

私、インスリンを家に忘れて、出勤しました。

実際は、それに気づいた母が電話やメールをくれて、
出勤途中で取りに戻ったのですが・・・。
その連絡が無かったら、全く気づかずに出勤。
お昼になって慌てる・・・、ということになっておりました。
「そういうときはどうしたら?」
そこで、早退せざるを得なかったか、近場の病院で処方し直してもらうとか?
とにかく相当、焦ったと思います。

定期券を忘れても、お財布があればなんとかなるでしょう。。。
お財布を忘れたら・・・。どうにもならないかな・・・?(苦笑)
とか、誤魔化している場合ではない!

さすがの母も、あまりのことに、無言。
怒るとか、もう、そういうレベルではなかった。

だってさ、これがないと、どうなるかわかっているのか、自分?と言いたい。
もう、あっという間に、
「皆さん、どうかお元気で。お世話になりました。」って感じじゃないのか・・・。
大丈夫なのか?私・・・。さすがに注射を一回くらい抜いただけでは、
へこたれないとは思いますが、でも、インスリンなしで、本当に何日保つのかな・・・。

これも言い訳をするとですね、
その日。仕事の締め切りがあって、しかもとっくに上司を待たせているの、
分かっていたので、すごく焦っていました。
そんな日に限って寝坊をしちゃって、「遅刻だ、ヤバイ!」って、さらに焦って。
で、仕事帰りには、出産したばかりの妹のお見舞いに行こうとも思っていて、
その辺の段取りをするのにも気を取られていた、と。

だけど、全ては、インスリンを打って、人並みに動けることが大前提のはず。
つまり、明らかに、何か間違っている・・・。
あまりに慣れすぎてしまって、ちょっと自覚が足りないんだと、そう思いました。
とにかく、注射器を忘れてくるなんて!あり得ない。。。
遅刻を避けようと焦るあまり、かえって遅刻せざるを得ない状況を作り出してしまい、
母を始め、色んな方々に心配とご迷惑をかけて・・・。

改めて、本当にごめんなさい。
そして、心配してくれてありがとう。

と、反省しつつ、明日、主治医にこの辺のことを白状せねば。
そして、原則、注射器は肌身離さず持ち歩くものですが、職場にも予備で、
注射器本体を置いておこうと思う。
今でも、針などの消耗品は常に常備してはいるのですが、
注射器本体だけは、「いつも持ち歩いているからね。」と、自分を過信していたところもあった。
もちろん、注射器だって、壊れたときのためにと、予備も1セットあることはあるのですが、
家に置いているし。

この一件は、何かの警告かもしれないな、とも思うので、
自分で自分の身を守るための備蓄をしておこうと、再度認識を新たにしました。

「私は、インスリンがないと、生きられない。」

という事実。
普段は痛みも無いし、注射に慣れてしまって、つい、忘れがち。

・・・と、ここまで書いて、ふと去年の冬、友人達と出かけて、
友人の車に注射器を落としてきたことを思い出した・・・。
下りるときに、確認を怠ったのだ・・・。まさか、カバンから飛び出ているとは思わなんだ。。。

こりゃあ、慣れの問題じゃないのかも(苦笑)
どうしましょう・・・。
もっと几帳面な性格になるにはどうしたら???
注意力がないってことですよね。
うっかりミス?で済めばいいけどさ。。。

P.S.
  あのときは、本当に慌てさせてしまいましたね。
  改めて、お礼をさせて下さい。本当にありがとうございました。
  なのに、私ったら・・・。
  人間は、そう簡単には変われないものなのでしょうか・・・。(苦笑)&(泣)


親知らずを抜くこと [糖尿病・身体のこと]

昨日は、仕事を休んで、午後から親知らずを抜いてきました。
「たかが、歯医者に行くのに仕事を休むのか?」
などと言われてしまいそうですが、まぁ、これには事情があるのです。

実は半年前の3月末にも、親知らずを抜いているのですが、
本当に、エライ、大変だったのですよ。
そのときは、左下の親知らずを抜いたのですが、
その親知らず、真っ直ぐに上を向いて生えていなくて、
真横に倒れていて、歯茎に埋まっているという状態でした。
(イメージ、できますか?)
ので、抜くというよりは、切って、割って取り出すという、
いかにも痛そうなプチ手術が必要に。

おかげさまで、歯だけは丈夫で、
今まで、歯医者さんにあまり通うこともなく、
20数年を過ごしてきたのですが、
糖尿病を発症してから、口腔環境について、色々気になりだして。
糖尿病って、歯周病や虫歯を、急激に悪化させるらしいんですね。

ちなみに、糖尿病が本当に怖いのは、血糖値が高いことによって、
血管がボロボロになるところ。
だから、出血したりすると、化膿しやすいし、治りにくいのです。
それによって、失明や壊疽などの合併症と言われるものを併発します。
なので、それらを出さずに寿命をまっとうできれば、本望!ですね。

そういうわけで、虫歯も、大きく考えれば、合併症の一部とも考えられ、
早めに治療をしましょうと、そういうことなのです。
そして、ずっと抜こうと思っていた、親知らず。
今なら、まだHbA1cも低めだし、最後のチャンスかもと思って。
この値が高いと、治療拒否をする歯医者さんも少なくないそう。
いくら治療をしても、治りにくいから、嫌なんでしょう。
※2003年までの受入機関リストが下記のほうにあるので参考になさってください。

全くもう・・・。
差別だ~!!!なんて。吠えてみたりして。

※補足
 HbA1cとは、血液中のヘモグロビン(赤血球)がどのくらい砂糖漬けになって
 いたかを示す値のことです。
 膵臓の健康な人は、5.8%未満が普通。
 私も昨年、入院する1ヶ月前の健康診断で測ったときには4.8%でした。
 入院時の値は、6.2%。これによって、劇症型1型糖尿病だと診断されました。
 今は、平均して6.5%前後。
 低ければ、低いほど、合併症が出にくいとされています。

で、前回のプチ手術。
ここからしばらく、その大変だったのよ、って話が延々続きます。

***************************

そのプチ手術。
あまり他の患者さんが来ない曜日の午後を狙って、行いました。
先生が二人がかりで、苦戦してくれて、
私も口を開けているだけで疲れてしまい、途中、低血糖に・・・。
血を流しながら、ジュースを飲み、クッキーを食べましたよ。

<歯科医院で、治療中にクッキーを食べる患者。>

普通では、ありえませんね(笑)

もちろん、こちらに治療をお願いするにあたって、
私が1型糖尿病患者であることは伝えてありましたから大丈夫。

●1型糖尿病患者の歯周治療・ケア受入機関
 → http://www5.ocn.ne.jp/~i-net/dental-list.htm

先生が、引き出しからキャンディーまで出してくれて・・・。
本当に、ありがとうございました。

そして、なんとか、そのプチ手術も終了。

薬剤師をしている友人がいるので、薬名も書いてみます。

 痛み止めの「ロキソニン」(私は普段、頭痛薬としてもらってくるけど。)
 化膿止めの「フロモックス」をそれぞれ5日間分、貰ってくる。

そして、薬がなくなった5日目くらい。
何か、ひどく体調が悪い。歯を抜いたあともずっと化膿しているし。
お腹も壊していて、痛みも強くなってくる。ちょっと血も見えてて。
これは、マズイと思って、念のため、会社帰りに近場の病院に。
事情を話して、傷口から細菌でも入ったのかな?っていう話になり。
またまた、
 
 化膿止めの「ジスマロック」
 お腹用に「ビオフェルミン」「フェロベリン」「トランサミン」
 っていうのを貰ってくる。
 ジスマロック、って面白い薬ですね。
 最初の3日間飲むと、約1週間、薬の効き目が続くんだそう。

        
    
        

 私はこういうパッケージキットみたいのに、弱い。
 だから、ジスマロック、好きだなぁ~。(ただのアホです。はい。)

次の日、会社を休み、歯医者に行って抜糸をしてもらう。
糸があると、そこに食べ物のカスが溜まって、化膿すると、先に聞いていたので。

さらに次の日、
まだまだひどくなるお腹の痛み等に耐えかねて、いつもの病院に。
定期検診が翌週だったので、
ついでに、インスリンも貰ってこようと、いつもの準備もして。
主治医は内科医ですから、こういうとき、助かりますね。

そして、診てもらうと、
「脱水症状があるけど、まぁ、入院はしなくて大丈夫だね。」と言われる。
診断の基準が、
 「健康か?健康ではないか?」ではなく、
 「入院が必要か?必要ではないか?」なのが、我ながら、おかしい。(苦笑)
点滴をしてもらって、また薬をもらって帰宅。
化膿止めは、ジスマロックを貰ってきているから、要らないねということに。
 
 お腹用に「ラックビー」「タンニン酸アルブミン」混合っていうのを貰う。
 薬剤師さんが、調合するのに時間がかかって大変そうでした。

***************************

と、まぁ、親知らずを抜くのに、最終的には点滴までする羽目に・・・。
ここで初めて、私は健康な人ではないのか・・・。と、自覚せざるを得ない感じでした。
とは言え、「喉元過ぎれば・・・」という言葉通り、
普段は忘れてるんですけどね。

で、今回は、左上の親知らず。
これは真っ直ぐに生えているんですが、前回のこともあり。
私も歯医者さんのほうの先生も用心していました。

で、昨日の午後。

今回は、あっけないほど簡単にスポッと抜けてしまい、
「え?もう抜けたの?」って思いました。
先生も、
「今回は、低血糖にならなくてよかったですね~。私も嬉しい~。」
と、おっしゃってくれました。
(先生は同い年くらいで、女性です。)

ううう・・・。優しい。
ありがとう。

そして、前回と同様に、

 痛み止めの「ロキソニン」
 化膿止めの「フロモックス」をそれぞれ5日間分。

今のところ、ロキソニンは飲んでいないです。
我慢できないほどの痛みでもないので、大丈夫そう。

このまま、何とか、無事に済みますように・・・。
****************************
 10月11日。追記。
  実は、この後、3~4日、またお腹を壊しました。
  今回は、前回のときに主治医から貰っていた薬が
  残っていたので、それを飲みました。
  実は、上記に書いた、混合のもの以外にも
  「リン酸ジヒドロコデイン」という白い粉末のものも貰っていて。
  すっかり忘れていたのですが、今回のことで思い出して、
  それも飲んで、ようやく治まった感じでした。
  不思議なのは、お腹を壊しているのに、無臭だったんです。
  なんだったんだろう???
****************************


インスリン量産 [糖尿病・身体のこと]

このニュースも、Mさんからのメールで一報を知りました。
いつも、ありがとうございます。

●gooニュースより
「http: //news.goo.ne.jp/news/asahi/shakai/20050926/K2005092501700.html」
 (上記、記事は削除されてしまったようです・・・。残念。。。)

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 2007年11月22日追記
 こちらのブログに当時の記事が掲載されていたのでリンクさせていただきます。
 → 逸見研一さんのブログ「 おもてなしの空間
 → 佐藤賛治さんのブログ「 another side of "d-inf"
*************************************

でも、この情報だけだと疑問がたくさん。

増殖っていうことは、始めに核となる、基の細胞が
必要なのではないかと思うのだけど、
これは、やっぱりドナーから頂いた細胞なのかしら?
ドナーからだと、今まで通り免疫抑制剤が必要になってくるはず。

免疫抑制剤は月に20万円かかると聞いています。
それだったら、注射のほうが安い。
注射は、もし全額負担になっても、5万円で済む。

今は3割負担で1.5万円くらい。
病院によって、使っている量によって、と
人によって多少のばらつきはあるけれど、これくらいが平均のようです。
つまり、1日当たり¥500は必要なのです。
何も食べなくても、動かないでじっとしているだけでも、
心臓をバクバク動かして、呼吸をしたければ、1日¥500を払う。
もちろん実際は、別途家賃とか光熱費とかも、必要ですが。

ちなみに、この注射が無いと、生命の維持が出来ないっていうのに、自腹です。
1型だと18才までは特別療養費というのが下りるそうだけれど、とにかく18才まで。
あとは、自分で何とかしろということ。
国は保障などしてくれないのだ。

でも、もし体内にβ細胞が残っている人ならば、
それを一旦取り出して、増殖させ、再度戻すとか出来るかも?
それならきっと、免疫抑制剤は必要ないはず。

ところが、膵島細胞の移植も今のところ、保険適用外。
今までは、1回の移植で、注射が必要なくなるまで回復する人はいなかったそう。
なので、完全離脱まで、計3~4回の移植が必要となってくる。
初年度450万円。次年度以降は350万円。
4回の移植が必要となると・・・。2,000万円!!!

私の膵臓は、完全にβ細胞が破壊されてしまって、
体内には、もうほとんど残っていないので、ドナーから頂くしかない。
だから、移植だけで終わるんなら、まだしも、
さらに月20万円の免疫抑制剤が必要になると・・・。
そんな額、一般庶民に払えるか~っ!

なので、移植なんて、私には縁がないだろうなぁ~、と半分諦めていた。
宝くじに当たったら、やろう!くらいな感じで(笑)。

だけど、この量産技術が生かされれば、
移植は1回で済むんじゃないだろうか?
そうなると移植は、一気に400万円。

そして、移植後の免疫抑制剤が必要でなければ、
この400万円のみで、注射から離脱できることになる。

おぉ~っ!何だか急に、手の届く額に近づいた感じ。
しません?

ES細胞のほうの研究も進んでいるんだろうし、
是非一回の移植で、終わりというところまで。

何卒、お願い致します。

●京都大学移植外科膵島移植ホームページ
 → (旧)http: //islet.eriko.com/index.html

*************************************
 2007年11月22日追記
 → (新)http://www.kuhp.kyoto-u.ac.jp/~transplant/islet/index.html
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 生体ドナーからの移植に用いられたヒト膵島(京大HPより)
      

私は病気になって1ヶ月もたたない頃、
自分の病気をネットで調べているときに
このランゲルハンス島の写真を見つけて、思わず、泣いてしまった。
人間1人分の、この細胞を集めても、1gに満たない。
ごく小さい細胞たち。
今のところ、私の身体にないのは、わずか1gにも満たない、この細胞だけである。

明日、朝起きたら、あなたの身体から、1gの「何か」が無くなったことを想像してみて欲しい。
一体、1gで何が変わると?
そもそも、1gの「何か」が減ったことなんて、気づくことなどほとんどなさそう。
体重計に乗って、あなたは1g減りましたと表示される?

昔、無謀なダイエットをしたことがある。
減って欲しい体重は5kgなのに、なかなか減らない。
1g減った?
それじゃ、ダイエットは成功したとは言えないよ。

たった1g。

あのときは、この細胞の有る無しだけで、
今後の人生が大きく左右されるのかと思うと、恨めしいような、
一体、いつのまに、こんなことになってしまったのだろうと
引出しを、全てひっくり返して、探してみたくなる衝動に駆られた。
きっと、どこかに置いてきてしまっただけで、絶対あるのよ!
身体のなかに今もあるんだけど、疲れて寝ているだけなのよ!
なんて。

何?1gって・・・。

そして、私は、その1gの代わりに、毎日、毎日注射をする。
それを毎月買うために、何が何でも働く。
 
 
 
今、しばらくは、このペースで生きてみようと思う。

移植に手が届く、その日まで。


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心療内科(2年前のこと) [糖尿病・身体のこと]

さて。
最近、「前向きだから」と、直接面識のない方に言葉を頂き、
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 2005年10月1日。追記。
   「 銀河鉄道の夜 」に頂いたコメントのこと。
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ふと、
 「ん~。はたして、そうなのだろうか?」
と思っていたところ、
昨日、本屋さんで見かけた雑誌に、2年ほど前にお世話になった先生が紹介されていました。

その他諸々の理由で、これは書いておいたほうが良さそうだという、
ある種の流れのようなものを感じるので、意を決して、書こうと思う。
決して、病気自慢をしたくて書いたりするわけじゃないので
誤解をしないでください。
今の自分は、こういう経験をして、ここにいるんだ、
ってことを書きたいという気持ち、ですかね。

私は2年前の8月、会社を休職した。
奇しくも、1型糖尿病を発症する、ちょうど1年前のことになります。

   ( リンク先参照 → 「 1型糖尿病」 )
    ※2004年末に書いた記事なので、今、読むと自分が「暗~い・・・。」
     気分になってしまうのですが。
     その後、書きました記事の後半を読んでいただけると、
     今、感じていることを、少しでもお伝えできるかもしれません。
   ( リンク先参照 → 「 1型糖尿病発覚前(去年のこと)☆その4最後。ありがとう。 」 )

原因は自律神経失調症。
前の会社はずっと仕事が忙しく、徹夜ばかり。
会社に泊まることも多かったし、出張も多く、1ヶ月の大半をビジネスホテルで過ごすことも。
出張中だって、コンビニのお弁当を買って寝るためだけに戻る。
よくいう、「接待とかで・・・。」みたいなのは、ほぼ無かったですね。
そういうのが何ヶ月も続いたりもした。
なのに、残業代も貰えず、しかも仕事の内容も、自分に向いているとは思えないもの。
簡単に言うと、面白くない。(私にとっては・・・。)
そして、何より、得意な分野ではなかった・・・。(これが一番致命的。)
職種は、名前ばかりがカッコいい。システムエンジニア。

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 当時、職種を言うと、大抵「カッコ良いですね~。」と言われたけれど、
 頼むから、そんな理由でこの仕事を選ばないように!
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好きな仕事なら、忙しくても我慢するとか、
つまらない仕事でも、定時退社できるから我慢するとか、
辛い仕事だけれど、お金をたくさん貰えるとか。

人によって、色々と、
理想と現実の妥協点を見つけていくんだと思うんですが、
私は当時、そういうものが全く見出せませんでした。

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 今なら、「学ぶこともあるさ~。」なんて当時の自分に声を掛けたかしら?
 そうね。
 今の自分にわかるのは、あの辛さを知っているから、
 大抵のことは我慢できそう、ということかしら。
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なので、毎日生きていること自体がもうストレスに。
大袈裟なようですが、会社に居る時間が長い人間にとって
   「生きる=仕事」
なんですね。
家に帰るのはシャワーを浴びるための朝の1時間だけだったりする。
それでも、好きな音楽を聴いたりして、
解消させていたほうだとは思うんですが。

そんな感じで、生活そのものから、逃げたくて、逃げたくて、仕方なかったですね。
だったら、辞めれば?と、何度も何度も思ったんだけれど、
次にやりたいと自信をもって言えることがなかったり、
あっても、一歩踏み出す勇気が持てなくて。
ちょっとした、しがらみもあったので、
そういうものを乗り越えるパワーも全くなかった。

そういうのって、表面上は平気そうな顔をしていても、
身体には相当な負担になっているんですね。
もう、年中だるくて、風邪ばかり引いていて、グズグズで。
全てが調子悪い!
頭痛も毎日。バファリンなんて飲みすぎて効かなくなっていたりして。
それがまた精神的に落ち込む原因になり・・・。と、悪循環。
身体中から、ありとあらゆるマイナスオーラが出ていた気がします。
そして、仕事もますます疎かに。
納期にも間に合わなくなり、
部長に、これみよがしに悪口を言われ始め・・・。
 (せめて、面と向かって、直接言って欲しかった・・・。)
ともかく、最悪の状態でしたね。

そんなこんなで決心して、心療内科へ。
薬ももらって飲んでいたけれど、私には全く効果なし。
診察してもらうときも、
先生に、ただ仕事の愚痴を言うって感じで。
でも、唯一、私の話を聞いてくれる人だと、そう思っていました。

母親に言うと、
 「そんな会社、入るな!って言ったでしょ!」との言葉に始まり、
今までの人生全てを否定される・・・・。
 「あのときはこうで、次もこう・・・・、だから、私の言うことを聞きなさい!」と
結局、かえって追い詰められてしまい、それ以降、話すのを止めてしまいました。

友達にも相談するとか、できなくて。誰にも言えなかったんですよね。
 (少しくらい、話したのかな?)

そして、体調不良の原因は、まず仕事にあるのでは?ということで、
先生に診断書を書いてもらい、休職へ。
1ヶ月間、休ませてもらうことになりました。
それを認めてくれた会社に、今は感謝しています。

その間、私は敢えて何にも考えなかったですね。
やりたいことをやろう、と思って、ゴロゴロしたり、テレビを観たり。
そういう、ただ家にいることが良かった。
でも一番、効いたのは、当時付き合っていた彼の実家に遊びに行ったこと。
すごく、のんびりした空気のある皆さんで、
あまりの居心地のよさに、
1週間も居座るという暴挙に出てしまいましたが。(笑)
この間、写真を撮ったり、彼の母校である小学校に行ってみたり。
そうしているうちに、自分の飲んでいる薬が何やら馬鹿馬鹿しくなってきました。
ようやく、気づいたんですね。

そして、決心。
将来、その選択は間違っていると誰かに言われようとも、
ギスギスしている環境に自分を置いておくことのほうが間違っていると思う。
やっぱり会社を辞めよう。

そう決心してしまうと、少し自分が緩んだ気がしました。
そこで初めて、自分に自信を持つことができたように思いましたね。

次の仕事は、今までやったことのある仕事のなかで
一番楽しかったことをしよう、と思って、その仕事をしている友人に相談。
ちょうどアルバイトを募集中とのこと。
まだ会社を辞めていないのに、履歴書を持って、面接に行きました。
決めると早いんです、私。。。

それから会社に戻って、交渉。
当然、すぐには辞められなくて、予定よりさらに1ヶ月延びてしまい、
アルバイト先にも謝りに行ったりしました。

そのアルバイト先に謝りに行く当日、
ちょうど職場関係業種内の展示会に出展する準備を、ビックサイトでしていたのですが、
それが終わって、駅に向かう途中で観た夕焼けがすごく綺麗で。
こういうものを「綺麗だなぁ~。」、と感じることを大切にする仕事がしたい。
素直にそう思いましたね。
ありがたいことに、アルバイト先では私を待っててくれると言う。
もう、本当に、ただただ感謝しましたね。

そうして何とか、仕事を辞めて、アルバイト開始。
そもそも時給で働くこと自体が、楽しかったですね。
だって、「労力=お金」の図式が明確になっていますでしょ?
これでサービス残業をさせられているっていう、
ある種の被害者意識を持つ必要はなくなったし。
一緒に働いているメンバーも大好きだったし。(今も大好き。)
何より、仕事そのものが面白かった。
そのアルバイトはもう、辞めてしまったけれど、
あの時間は何にも変え難い、有意義なものでした。
だから、私にとっては、好きなことを仕事にするっていうのは、
とても大切なことのように思いますね。
そういう自分にとって優先順位が高い事柄をみつけてしまうと、
他の細かいことなんて、ほとんど気にしなくなるのも
良いところかなと思います。
もちろん、今の仕事も、好きなことに関わる仕事です。
多分、一生これに関わっていくであろうという予感もあって。

なので、今は、あのとき決心した自分を誇りに思います。
おかげで自分がどうなっていきたいか、ということを
自分の力でみつけていく覚悟ができたように思うんですよね。

だから、上手く言えないけど、
自分はどうしたいの?っていうことを、
突き詰めていくしかないんだなぁ~、と思います。
環境を変えること、自分を変えること、
何かを得ること、何かを捨てることetc・・・
方法は人によって様々あると思いますが、
少なくとも、他力本願では前に進まないだろうし、
それで仮に前に出れたとしても、次の一歩は自分で考えていかないと。

だって、一度きりの人生だもの!(笑)

どうせ、最後はみんな同じなんですから、
そう恐れることなんて、ないのでは?

まぁ、そんなに簡単じゃないことは、私もよく知っていますが。

でも、きっと思っているよりも、生きるっていうのは奥深いし、
器が大きいんじゃないかと思いますね。
だからこそ、良いことも、悪いことも、色々あって、いいんじゃないですか?

少なくとも、この文章を書いたり、読んだりできる環境・立場にあるというだけで、
もう十分過ぎるくらい幸せなことじゃないかと思います。

と、私は思うんですが、
あなたはどう、思います?


1型糖尿病発覚前(去年のこと)☆その4最後。ありがとう。 [糖尿病・身体のこと]

2004年8月12日。木曜日。

  朝、起床。時間は分からない。
  外は晴れていて、窓から光が差し込んできていた。
  夜中に運ばれてきたから気がつかなかったけれど、
  相部屋の方がいらっしゃったようだ。挨拶なんか、したりして。
  しばらくして、看護婦さんが搬送する前に、
  家に電話をしましょうと言う。
  ベッドの側に電話があって、カードを差し込めば外線が繋がると言う。
  で、カードを購入。
  携帯をこっそり見ると、9時を過ぎていた。
    「あぁっ~!!!職場に休むって連絡してない!!!」
  焦って、連絡しなきゃ、と思い、何故か、同期の女の子にこそこそメール。
  しかも何故、メールなんだろう?
  電話のほうが良かったのに。

  ここまでのことを携帯のメールに書くのは酷く困難なことだった。
  しかも、今、どういう状況なのか、わからず、
  入院して、しかもまた別の病院に搬送されるんだということを
  書きたかったのだろうか?

  というのも、
  つい最近、彼女がそのときのメールを見せてくれたのだが、
   (保存をして、とっておいてくれたのだ。)
  彼女のところに届いたメールは、まるで文章の形を留めていなかった。
  今、読むと、何か大変だということを言いたいらしい雰囲気だけしか伝わらず、休むとか、
  そういう肝心な内容が一切含まれていなかったのだ。

  確かに意識も朦朧としていて、身体も思うように動かなかったからだろうか?
  本当によくわからない。
  彼女は一日中、私からの次に来るメールを待ってくれていたのだと
  あとから聞く。
  分娩室の奥さんを待っている旦那さんになるってこんな感じ?と
  笑って、言ってくれた。本当に申し訳ないことをしました。

  で、多分、そんなメールをして、
  次に、家に電話をかけた。

    私:「今、入院してて、病名が糖尿病だって。」
       (いつ病名を聞いたんだろう???覚えていない。)
    母:「ハハハハ~!(大笑い)そんなバカな。
       いい加減なことを言う医者はヤブ医者だから、早く帰ってきなさい!」
    私:「いやぁ、無理だよ。搬送されるんだって。」
    母:「ハッ???ちょっと先生に代わりなさい!」
    私:「いや、今、いないから、病院に自分で掛けなおして!」

  で、また一生懸命、母に病院の電話番号をメール。
  ひどく手間取って、全然送れない。

  バタバタしてて、何だかよくわからず、
  母親は病院に電話を掛けてくれたのだろうか?
  そんなことを思っていると、
  「救急車が来たから、行きますよ。」と言われる。

  私の身体には、いつのまにか、さらに管が増えていた。
  トイレに行かなくてもいいように、ということらしい。
  自力では歩けないから。
  「オムツもする?」と言われ、それははっきり断ったのだけは覚えている。

  またストレッチャーで移動。
  ベッドからストレッチャーに移動するのも、一苦労。

  そして、2度目の救急車に乗る。
  ふと、気が付くと、彼氏が来てくれていた。
  病院側で、ちゃんと連絡してくれたんだと思った。
   (実は違ったらしいのだが。)
  付き添いで、昨日とは違う別の先生がいた。
  何か、ひどくムスッとしていたのは覚えている。
   (これも理由があってのことだと、後から聞いた。)

  で、搬送される。
  搬送先の病院は、私が頼んだ病院ではなさそうな雰囲気だった。
  このくらいから、眠いと言うか、起きていられなくなってきた。
  ウトウトしていると、病院に到着。

  あとはガラガラ言う音と、
  何か、たくさんの看護婦さんとかお医者さんがいたこと。
  ストレッチャーから、検査室?のベッドに移動するのに、
  自力で移るのが、ひどく辛く、面倒で、痛かったこと。
  『ER』みたいに、「1・2・3!」とかって、
  移動させてくれないんだなぁ・・・などと、考えていたこと。
  検査みたいのが、たくさん続いて、
  何度も移動して、疲れて、痛いし、もう嫌だと思っていた。

  「名前は?」とか、「仕事は?」とか。
  散々、訊かれたりした。
  答え方もだんだん、ぞんざいな感じになってきて、面倒くさい。
  そうすると、「もうちょっとだからね~。」などと励まされる。

  採血も、足の付け根の大動脈から採血するので、
  これが、またすっごい痛い!!!
  「何すんのっ!!!」って、怒りたくなるくらい、痛い。
  しかも、こっちは弱っているのにぃ~みたいな感じで。
  もう心身ともにヘトヘトだった。

  そんなこんなで、ようやく開放されると、
  最後は広い部屋にたった一人。
  あとは機械のピッピッピッという音だけが響いていた。
  やっと眠れる・・・。そう思って、ホッとした気分だった。

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  運ばれたのは、ICUというところで、普段は滅多に入れない場所だし、
  もっと意識があったら、あれこれ観察していただろう。
  もったいない。
  などと、今はのん気に思う。
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  彼氏によると、
  搬送するときに、付き添ってくれた先生は、
  朝、出勤してきて、私の病状等を当直の先生から聞き、
  怒っていたようだ。それでムッとしていたらしい。
  夜のうちに搬送すべきだとの判断が、何故出来なかったのか?
  みたいなこと、だったらしい。
  そして、彼氏は朝、病院からの連絡が来ないので、
  おかしいと思って様子を見に来てみたら、
  ちょうど私を搬送するところだった、と
  そういうことだったようだ。

  病院側も、みんな慌ててくれていたのだと思う。
  知らぬは当人ばかり。

  彼氏も搬送先の病院まで付き添ってくれたものの、
  私は、何か秘密の入り口(に、見えたと言っていた。)に
  吸い込まれて、みんな行っちゃって、一人取り残されて
  途方に暮れたそうだ。
  人を探して、彷徨うと、待合室で待つように言われ、
  その後、16時ごろまで、ずっと待っていたと
  あとから話してくれた。
  仕事を休ませてしまったんだよね。ごめんね。

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  そして、眠っているところに、母と妹、彼氏が来てくれる。
  私は、誰よりも妹の顔を見て、号泣してしまった。

  妹は子育てで大変なときなのに。私のせいで・・・。
  甥っ子は?預けてきたの?向こうのおうちの誰かが
  子守りのために、仕事を早退している・・・。

  そんなことを一瞬のうちに理解したのか、ものすごく
  迷惑をかけてしまっていることに、気が付いた。のか?

  そして、病気になったことが、この妹に、ではなくて、
  私に起こったことで良かったと、すごく思った。
  これで、良かったんだって。

  3人は、救急の先生と話をしてきたようだ。
  やっぱり私は糖尿病だった。
  何か、糖尿病にも色々型があって、今はまだどちらかわからないと言われた、とか何とか。
   (その後、劇症1型糖尿病と診断されました。)
  母はひどく、険しい顔をしていたけれど、怒ってはいなかった。
  この人はいつも怒っているので、私はいつも逃げるように生きてきた。
  でも、このときばかりは、怒ってはいなかった。
  だから、すごく悲しんでいたのだろうと思う。

  子を思う、母の気持ち。
  私はまだ、子供を産んでいないので、よく分からないでいる。

  彼氏も、初めて私の家族に会って、色々気を使っていることが気配から感じられた。
  そもそも、母親の猛反対を押し切って、始めた同棲生活だったから。
  こんな形で、しかも私を抜いて、2人を会わせることになって、
  心から申し訳ないと、そう思った。

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そうして、私の16日間の入院生活が始まった。
入院中の話は、また別の機会に書こうと思う。

退院後、私は実家に強制的に連れ戻された。
致し方ないことだと、そう思ったけれど、そのときは自分の意志で、戻るのではないという
気持ちのほうが強かった。

でも、私は今も、「自分の意志で」実家にいて、その入院していた病院に毎月、通っています。

実家から病院までは、片道1時間半くらいかかるけれど、なんというか、とにかく安心なのだ。
入院していたこともあるし、最後にちゃんと診てくれたという信頼感もあるし。

本当にもう、新しい病院はいらないよ。
たくさんです。
余程の事情がない限り、通い続けるだろうと思う。

そして、最後になったけれど。

私はこの病気になって、失ったものも、あるけれど、
それよりももっと大きな、多くのものを得たと思う。
なので、
後悔するとか、悔やむということは、最初の頃は多少はあったけれど、今はもうほとんどない。
病気になる前より、ずっと健康的な生活をしているし、
滅多に風邪も引かない。あの憎き便秘もしなくなっている。
だから、普段は自分が病人であることなど、忘れていて、
たまに焦るくらいだ。こんなにのん気で良いのか?と。

そして、それは、
家族や友人、彼氏、職場の人、周りのたくさんの人に
支えられて、私がここに居られることが大きいのだと改めて思う。

仕事も今まで通り、続けることが出来て、
あんなに休んだのに有休もくれました。
ラッシュが大変だろうから、出勤時間をずらしてもいいよ、とまで言ってくれました。

おやつに「これなら食べれる?」と、当たり前のように
ノンシュガーのゼリーを用意してくれた同期の女の子。
一生、忘れないよ。

それから、
今までと変わらずに、笑ったり、泣いたり、ケンカもするし、
分かっているなぁと、ほくそ笑むことや。
その優しさに感激して、うれし泣きもしょっちゅうで。

そんな人たちと、私は一緒にいることができて、嬉しい。
そう。すごく恵まれているんだと思います。
そして、この全部は、生きているからこそ、なんだよね。
もう、一つも、無駄にしたくない。

だから、みんな、本当にありがとう。

こうやって乱文ながらも、去年のことをここに書き記すことが出来たことも。
そうするように助言してくれた、彼女にも。
全て、感謝しています。

ここまで読んでくださった、あなたにも。
読みにくい文章だったと思うのに。

今まで、本当にありがとう。

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 2005年10月2日。追記。
   最初から読むは、
   ( リンク先参照 → 「 1型糖尿病発覚前(去年のこと)☆その1 」 )
   この前は、
   ( リンク先参照 → 「 1型糖尿病発覚前(去年のこと)☆その3 」 )
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1型糖尿病発覚前(去年のこと)☆その3 [糖尿病・身体のこと]

2004年8月11日。水曜日。Xデー当日。

  この日は朝からだるいのはわかっていた、という感じ。
  職場にも昨日のうちから、明日は休みますと言ってきていた。
  もらった薬を飲んだ。今日の夕方には楽になると思っていた。
  彼氏に出かける前に「アミノバリュー」と「ポカリスウェット」を買ってきて欲しいと頼む。
  昨日から、水では夏バテするから、こういうのがいいと言われていた。
  だからか、水はあまり飲まなかったような気がする。
  糖尿病患者にとって、この手の飲み物は一番避けたいものだと思う。
  ましてや、高血糖のときに飲むなんて、自殺行為だ。

  でも、そのとき、そんなことになっているなんて、
  周りの誰も、知らなかった。
  私自身も。
  そして、病院の先生さえも。

  もう、なにも食べる気がしなかった。
  というか、食べたい欲求だけはあるのに、
  食べても、食べても、これが欲しかったんじゃない!
  って感じで、身体に入っていかない。
  元々、身体が欲しがっているものを食べたいと思うほうなので、
  これには困ったと思っていた。ここ何日かはずっとそう。
  身体は明らかに違うものを欲しがっているのだが、
  それがわからないのだ。

  私、どうしちゃったんだろう?

  そうこうしているうちに、
  トイレに行くも、出ない、もしくは出にくいという状況になった。
  尿意はあるのに、お小水がまるで出ないのだ。

  そして、16時過ぎ。
  恥ずかしいのを敢えて書こうと思う。
  事実だから。

  私は、またトイレに行こうとふらふらと起き上がった。

  と、足のあいだから、温かいものがツーッと流れた。
  量なんて、本当にごくごくわずかだったのだが。

  トイレに。
  ・・・・・・。
  間に合わなかったのだ・・・・。

  そのときの気持ちをどう書いたらよいのか?
  無念・・・・。

  悔しい?

  もう、自分で自分の身体をコントロールできなくなっているのが
  分かって、それで、ここ何日も抵抗し続けていたと思うのだが、
  私は、ここで、諦めの境地に入っていったように思う。
  ただただ、どうしようもないことだけが分かった。

  そして、私は彼の亡くなった祖母に謝り始めていた。
    「こんなんじゃ、彼の奥さんにはふさわしくないです。」
    「どうしてだろう。情けない・・・。」
  そんなことを口にしていた。
  私の祖母にも謝った。こちらの祖母も亡くなっているのだが。
    「ごめんなさい。せっかく・・・。」
  そして、私の母にも。
    「親不孝ばかりで、本当にごめんなさい。」

  トイレに行っても、不都合を感じるような状態だったのに、
  このときは不思議と、涙が流れて止まらなかった。
  ただただ、みんなに謝っていた。

  それから大分、経ったのだろうか?
  彼が帰宅する。
  22時?時刻は不明。
  もう、この辺りからは、呼吸が苦しくなってきていた。
  吸っても、吸っても、身体は反応していないという感じ。
  この日、何度目だろう。
  トイレに行って、私は決心する。

    「救急車、呼んでくれないかなぁ・・・。」

  呼んでもらうと、少し楽になったような気がした。
  夏バテで救急車なんて、恥ずかしいと思ったけれど、
  彼も家にいるより、病院のほうが安心だと言ってくれた。

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  ここから少し、不謹慎なことを書いています。
  本当に、今なら、こんな風に思ったりはできないと思う。
  でも、このときは、例えば健康な人が、病気の人に、
  「病気で休めて羨ましい。」と言うのと同じレベルで、
  自分に起きた出来事を、楽しむ余裕すらあったのだと思う。
  そういう意味でも、私に起きたこの出来事というのは
  この時点では、全く予知しうるものではなかったのだと確信している。
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  いそいそと着替えを詰めたりして、私はシャワーを浴びたいなどと言った。
  でも、今日は無理でも明日、浴びれるかなと思っていた。
   (実際はシャワーを浴びられるのは、それから1週間後のこと。)
  この日、この瞬間が一番元気があったように思う。

  このとき、二人とも、すぐに帰ってこれると信じていたのだ。
  また、今までとおんなじ生活が続いていくだろうことも。
  何も疑う余地なんて、まるで無かったように思う。

  救急車が到着する音がして、私はこちらから出向いていこうとした。
  エレベーターでここまで来てもらうのは、申し訳ないように思った。
  靴を履いて、歩こうとするも。

  自力では歩くことすら出来なくなっていた。
  彼氏に支えてもらいながら、私は降りていった。
  エレベーターのところで、救急隊の人が何号室かの問い合わせの電話をしていた。

    「xxx号室のですか?」

  私は他の部屋の人も救急車を呼んだのではないかと思った。

    「xxx号室?」「私です。」みたいな会話。

  ここで、ガラガラと音のする、ストレッチャーに寝そべる。
  初めてだったので、ワクワクしていた。

    「初めて乗るんです。」

  彼氏にも「初☆救急車だ!」とか言って。
  私は明らかにはしゃいでいたはずだ。

  搬送先は仕事帰りにも寄れる場所にして欲しいと言った。
  最初は、昨日の職場近くの病院に、と言ったような気がする。
  そこは遠いので、近場でお願いする。

  だって、後から通えないと困るじゃない。

  そして、どういう状況だったのか、説明を始める。
  ここに至るまでにもらった薬は全部、持ってきていた。

    「最初は胃がもたれて・・・・、で、呼吸が苦しくなりました。」

  全部、自分で話した。私は意識があったから。

  でも、後日、彼氏に聞くと、つじつまの合わない話だったようだ。
  意識はあっても、意識障害という状態だったよう。

  救急隊員の所見にも「意識障害」と書かれていたのを後で知る。

  搬送された病院では、何を?
  血液採取と、尿と。あとは体重を測った。
  ものすごく減っていて、嬉しかった。
   (本当に、何も知らないって、幸せなこと。)

  そこで、血糖値が546mg/dlを超えていて、
  血中のカリウムが9(単位は不明)と言われる。
    「10に達すると、心臓が止まるんですよ。」
  当直の若い先生は言った。
   「あと一歩遅ければ、心臓が止まっていました。」

  この時点でも、これが一体何を意味するかなんて、
  まるで理解していなかった。
  塩っぱいものがあんなに美味しかったのは、
  ナトリウムが欲しかったのだね。
  今だから、わかる。

  私の腕には点滴の管がつながれ、
  この日は、このままこの病院に泊まって、
  明日、また別の病院に搬送すると言う。
  私は懲りずにまた、例の職場近くの病院にして欲しいと言う。
  先生は了承してくれた。
  彼氏は「明日、搬送する前に連絡を下さい。」と言い、
  深夜、一人帰って行った。

  私はここにきて、ようやく安心して眠ったように思う。

もうちょっと続く・・・・・・。

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 2005年10月2日。追記。
   この続きは、
   ( リンク先参照 → 「 1型糖尿病発覚前(去年のこと)☆その4最後。ありがとう。 」 )
   この前は、
   ( リンク先参照 → 「 1型糖尿病発覚前(去年のこと)☆その2 」 )
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1型糖尿病発覚前(去年のこと)☆その2 [糖尿病・身体のこと]

さて、続き。この辺りから記憶が前後している。
よく思い出せないことのほうが多いことに今更気がつく。

2004年8月6日。金曜日。ちょっと長い一日。

  この日はようやく出勤する。いやあ腸炎で・・・なんて言って
  休みのあいだ連絡できなかった方などに挨拶をする。
  上司にはもうちょっと詳しく説明すると、親切にも
  ご自分で毎日買っているヤクルトをくださった。
  おまけにお昼にお寿司までご馳走になる。
  全部、残さずに食べた。食欲がある自分に驚いたりもした。

  携帯を忘れて出勤したので、帰りに彼氏の職場に寄る。
  私も春までアルバイトをしていた職場なのもあり、
  仲の良かった人達に挨拶などしながら、彼氏の終業時刻を待っていた。
  帰り。彼氏は超不機嫌。
  一緒に夕飯を食べて帰るも、会話はなし。
  部屋に着いて、その旨を聞いてみると、
  職場に来てウロウロされるのが嫌だと言う。
  彼のいるところには近づかなかったはずだけど・・・。
  そういうことでもなく?

  みんなは仕事をしているんだから、お前がいたら迷惑だと言われる。
  自分を待って彼女が、みんなの仕事の邪魔をしていると
  思われるのが嫌だったのだろう、と思った。
  でも、前にも何度も遊びに行ったことはあったし、
  出来るだけ邪魔をしないように気を使っていたつもりだった。
  それから、携帯があればOKで、ないとNGと言われる。

  ん~?わからない。
  携帯がないと、プレッシャーなのだそうだ。
  仕事しているのに、おまえに気を使わないといけないだろ!
  とか言われた気がする。

  その他色々怒られるが、私も納得がいかず、ふてくされる。
  そもそも、いつもケンカになると、私には腑に落ちないことが多かった。
  確かに私はワガママだけれど、そんなに言わなくても・・・。
  だんだん自分に自信がなくなってくる。私は人間失格ですか?

  ともかく一緒に居たくなかったので、実家に帰るつもりで部屋を出る。
  でも、やっぱり帰れずに、近くの喫茶店で連絡が来るのを待っていた。

  このとき、私はただ、追いかけて来て欲しかったのだ。
  そうして、かれこれ1時間くらいは待っただろうか。
  全く連絡無し。
  そろそろ実家に着ける時間の電車がなくなるので、
  自分から連絡してみたりした。
  実家にふいに帰って、あれこれ詮索されたくなかったので、
  何となく、帰れなかったのを覚えている。

  今、思うのは、
  このとき、素直に実家に帰っていたら、どうなっていたのだろう?
  ということだ。もしかして病気にならなかったのだろうか?

  そう思うことはひどく悲しいことです。

    家族にとっても。
    彼氏にとっても。
    自分にとっても。

  連絡すると彼氏は寝ていた。
  次の日も仕事なのだし、疲れていたんだろう。
  大人なら、そう思えたのかもしれないけれど、
  私は実年齢には不相応の全くのコドモだった。
  電話先であれこれ責め、しばらく外でグズグズして、
  結局、彼氏のいる部屋に気まずい思いと共に帰った。
  そのまま会話なし。
  自分が虚しくなったし、空っぽになった気がした。

  外でグズグズしていた時、終バス後のバス停の椅子に座って、
  あれこれ考えていて、
  ふと何となく、持っていたカメラでシャッターを押した写真が1枚ある。
  近日中にここにアップしておこうと思う。

****************************************
  今、こうして書いてみると、愚かな自分に気がつかされる。
  でも、どうするのが正しかったんだろう?
****************************************
 2006年5月28日。追記。
  ようやくアップしました。
              
  当時の私。
  今、思えば、真っ暗なジメジメとした袋小路に自ら迷い込んでいたのじゃないだろうか?

     「おーい、私よ!今の私は結構、前向きで幸せだから安心しなさい!」

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2004年8月7日。土曜日。

  朝、起きるとのどが痛かった。
  冷房をつけたまま寝ていたから、風邪を引いたのだと思った。
  でも、ちょっと今までにない痛み。
  ヒリヒリするのと同時に、もっと何かを訴えているような痛み。

  彼は仕事。その後、私はどうしていたんだろう?
  お弁当は?作ったのかな?
  一日、自分が何か食べたか、食べないか、よくわからない。

2004年8月8日。日曜日。

  昨日からの、のどの痛みはひかない。
  おまけに何だか味覚も変なのだ。
  塩っぱいものが異様にしみる、っていうか
  塩味のものを食べると口中から唾液がどんどん出てくる。
  痛いくらいだ。異様に美味しいというか。
  身体が渇望していたのだと今だから思う。
  夕飯を準備して、彼氏に味がわからないと言う。

2004年8月9日。月曜日。

  身体がだるい。これはもう、風邪だ。
  また仕事を休む電話。
  本当に参りました~、なんて言う私。
  どうしちゃったんだろうか?
  朝ご飯をしっかり食べようと、納豆を取り出す。
  お豆腐とか、とにかく食べて元気にならなきゃと思った。
  この日の朝も、彼氏と一悶着。
  私の善意が仇になる。そんな言い方しなくったって。
  ・・・。
  もう、いいよ。こりごりだ。もうたくさん!

2004年8月10日。火曜日。

  さすがに今日は仕事に行きたかった。
  もうそろそろ、納期に間に合わない。
  とにかく、ものすごくだるかったけれど、出勤した。
  途中の階段とか、おそろしく苦しい。
  ぜいぜい息が上がって、まるで身体が前に出ないのだ。

  おかしい・・・。

  おかしい・・・。

  次々と抜いていく人たちに、不審の目でチラッと見られ、
  いやぁ、私にもわからないのです、と一人、言い訳したりしていた。

  その日の後のことは、
  このブログ内の5月11日の記事、「Xデー前日」にあります。
   ( リンク先参照 → 「 Xデー前日 」)

さらに、8月11日へとつづく・・・・・・。

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 2005年10月2日。追記。
   この続きは、
   ( リンク先参照 → 「 1型糖尿病発覚前(去年のこと)☆その3 」 )
   この前は、
   ( リンク先参照 → 「 1型糖尿病発覚前(去年のこと)☆その1 」 )
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1型糖尿病発覚前(去年のこと)☆その1 [糖尿病・身体のこと]

とうとう8月に入りましたね。
毎回、血糖値を測る度に書き留めておく「自己管理ノート」が新しくなった。
これは1年で1冊のペースで使うもの。
つまり、発症してから1年経ったのです。
まだ覚えているうちに、去年のことを書いてみようと思う。
始まりは2004年8月1日。
何度思い返しても、この日が始まりのように思う。
確証はどこにもないけれど。

2004年8月1日。日曜日。

  この日は3日前くらいにひいた風邪のせいか、
  身体がだるくて毎週通っていたフルートもお休みした。
  食欲もなくて、朝からアイスだけしか食べていなかったように思う。
  夕方になると、さすがにお腹がすいて、
  近くのお蕎麦屋さんで、「冷やしマーボーうどん」なるものを食べた。
  温かいのにしようか悩んだけど、冷たいのを頼んだ。
  食後、何時間かして、胃がもたれているのがわかった。
  アイスと油っぽいもの。
  胃も疲れるよなぁ~などと思いながらも、
  放っておけば治ると思い込んでいた。
  夜は重たい胃を抱えながら、腹ごなしになると思って
  近くの小学校の盆踊り大会を眺めに行ったりした。

2004年8月2日。月曜日。

  仕事だっていうのに、相変わらず胃はもたれたまま。
  困ったなぁと思ったけど、やっぱり放っておけば大丈夫だと思った。
  今までだって、そうしてきたのだから。
  でも、今回は、不思議な感じのする胃もたれだった。
  胃がまるでサンドバックになったように身体のなかでブラブラしていて、
  それをね、胃の後ろから誰かに殴られているという感じの痛み。
  歩くたびに、ボコボコ、胃がパンチされている。
  立ち止まると、それは止み、
  痛みをあまり感じなかったような気がする。
  仕事場について、お昼前に市販の胃薬を買って飲む。
  それでもイマイチだったので、帰りに胃腸科と書かれた病院に行った。

     私:「胃がもたれているようなので・・・。」
   先生:「本当に胃かなぁ???」(先生は疑問に思ったらしい。)

  などと先生と話して、薬を出してもらう。

2004年8月3日。火曜日。

  まだ痛むので、仕事は休んだ。

2004年8月4日。水曜日。

  おかしい。胃が痛かったのに、痛みの位置が変わった。
  どうも腸のほうに移ったようなのだ。
  この痛みはなんと言うか、腸を絞られているような?
  とにかく痛い。
  そして、私はこの痛みに覚えがあった。

    遡ること3ヶ月前、
    やっぱり腸が痛くて、私は腸炎というのにかかっていたのだ。
    このときはあっという間に高熱(39℃を超えていたと思う。)が出て、
    必死な思いで病院に行き、点滴を打ってもらっていたのだ。
    その病院は今回とは違う、家からすぐの病院だった。
    原因は不明。便秘のせいだと言われたけれど、
    当時は、にがり水を飲んで、トイレにこもるというのを試していて、
    4日間連続でお通じがあったのに。
    そのせいで、腸がかえって荒れたのかなぁ???
    痛くなったのはトイレから出てきてすぐだったし。
    とにかく、このおかげでGWの鎌倉旅行をつぶした・・・。

  だから、今回も「また腸炎かぁ・・・。」と思い込んでしまった。
  前回と同じ病院に行きたかったけれど、お休みだったので
  ちょっと歩いて、胃腸科の病院まで行った。
  腸炎の経緯を話すも、今回は熱もないし、腸炎かどうかは
  分からないと言われる。
  さらに、大抵便秘気味だと言うと、その辺りが原因だと言われ、
  お味噌汁やオリゴ糖、ヨーグルトを摂るようにと言われる。
  そして、また新たに別の薬をもらってくる。

2004年8月5日。木曜日。

  もう3日間連続で仕事を休んでしまう。そろそろヤバイ。
  おかげさまで痛みは和らいできて、大分歩けるような気がしたので、
  ちょっと遠いスーパーまで買い出しに出る。
  ハチミツや、時間がなくても簡単に作れるお味噌汁とか、ヨーグルトも買う。
  ハチミツなんて、一番大きいのを買い込んだ。
  これで当分、持つだろう。リンゴ酢と割って飲めば、健康的じゃん。
  納豆もね。ネバネバが良いんだって。
  納豆は当時一緒に暮らしていた彼氏の大嫌いな食べ物だ。
  でも、容赦なく買った。
  健康に良さそうだと、思われるものは全部試してみるつもりだった。

・・・・・・  つづく

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 2005年10月2日。追記。
   この続きは、
   ( リンク先参照 → 「 1型糖尿病発覚前(去年のこと)☆その2 」 )
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次世紀ファーム研究所 [糖尿病・身体のこと]

この事件、みなさんの印象はどんな感じですか?

知らない方は、
 これが第一報
   http: //news.tbs.co.jp/20050718/headline/tbs_headline3074940.html
 これが2日後の報道
   http: //news.tbs.co.jp/20050720/newseye/tbs_newseye3076430.html
 ( 上記記事は削除されてしまったようです・・・。悔しい・・・。 )

私の第一印象は 「ま~た、怪しい宗教?」
でした。

でもね、
 1、中学生の女の子の病死
 2、病気だったと母親が言っていたこと
 3、健康食品
この3点で私は最初の報道から、妙な胸騒ぎがしていた。

で、何日かして、チラッとニュースで
「女の子は小児糖尿病で・・・」。
しかもさらっと、「病死です。」と、キャスターは言う。

あぁ・・・。やっぱりだよ。本当にただただ、むかつく。
病死って、本当にどういうことだか分かってるの???

小児糖尿病は1型糖尿病のこと。
今はもう、そういう風に言わないのに。
その時点でもマスコミっていい加減なのだと改めて認識する。

今、私が知りうる情報からすると、
彼女は多分、高血糖が続き、糖尿病性ケトアシドーシスで
亡くなったのではないかと思うのだ。
もし、そうなら、これは私が救急車で運ばれたときと同じ症状。

この糖尿病性ケトアシドーシスとは、
血液中には糖があふれていても、
インシュリンがないと、その糖をエネルギーとして
体内に取り込むことが出来ず、
身体はかわりに脂肪や筋肉を分解して、エネルギーにする。
(低インシュリンダイエットの考え方はこれを利用しているの。)
そうすると、その燃えカスであるケトン体という酸性の物質が
血液中に溜まっていくと同時に、脱水症状も引き起こし、
次第に、血液はケトン体と糖分とでドロドロになって、
流れなくなってくる。
そして・・・・。

私も呼吸が苦しくなって、
あと少し、遅れれば心臓が止まっていたと言われていたから。

とはいえ、かくいう私も事件の真相は未だによくわからないでいる。
マスコミの興味はオカルト的な話題のほうがメインだ。
そして、そこから必要な情報をつまみ出しているにすぎないのだから。

私が知りたいのは、
 1、女の子が1型糖尿病を理解していたのか?
 2、その子の母親は?
 3、医者にはなんて言われていたの?などなど。

うちの母親が観ていたワイドショーでは、
女の子本人がインシュリンを必要ないと言って
持っていかなかったとかなんとか・・・。

そう報道されていたそう。

もし、それが本当なら、
本人が理解できていなかったことになるけど、
でも、まだ中学生だよね?
それなら、保護者である母親の責任になるのかしら?

でもね。

私がこの病気になったばかりのときに、
我が母も、ウン万円もする健康食品を取り寄せようとしていた。
なんでも免疫力が高まって、病気が治るらしい・・・。

私は丁重に、そして、かたくなに何度も拒んだし、
今では、母も病気を理解し始めているので、
そういうことは言わなくなったけど。

私の母親は普段は冷静で、どちらかというと、
そういうものを胡散臭いと考えるタイプの人であったので、
今、思えば、やっぱりパニックになったのだと思う。

私がもういい大人で、ネットで情報を得たりできるから、
たまたま、そういうものから免れただけなのかもしれない。

ただただ、無知の連続に、
なすすべもなく、無力な自分も。

悔しい。


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