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1型糖尿病発覚前(去年のこと)☆その4最後。ありがとう。 [糖尿病・身体のこと]

2004年8月12日。木曜日。

  朝、起床。時間は分からない。
  外は晴れていて、窓から光が差し込んできていた。
  夜中に運ばれてきたから気がつかなかったけれど、
  相部屋の方がいらっしゃったようだ。挨拶なんか、したりして。
  しばらくして、看護婦さんが搬送する前に、
  家に電話をしましょうと言う。
  ベッドの側に電話があって、カードを差し込めば外線が繋がると言う。
  で、カードを購入。
  携帯をこっそり見ると、9時を過ぎていた。
    「あぁっ~!!!職場に休むって連絡してない!!!」
  焦って、連絡しなきゃ、と思い、何故か、同期の女の子にこそこそメール。
  しかも何故、メールなんだろう?
  電話のほうが良かったのに。

  ここまでのことを携帯のメールに書くのは酷く困難なことだった。
  しかも、今、どういう状況なのか、わからず、
  入院して、しかもまた別の病院に搬送されるんだということを
  書きたかったのだろうか?

  というのも、
  つい最近、彼女がそのときのメールを見せてくれたのだが、
   (保存をして、とっておいてくれたのだ。)
  彼女のところに届いたメールは、まるで文章の形を留めていなかった。
  今、読むと、何か大変だということを言いたいらしい雰囲気だけしか伝わらず、休むとか、
  そういう肝心な内容が一切含まれていなかったのだ。

  確かに意識も朦朧としていて、身体も思うように動かなかったからだろうか?
  本当によくわからない。
  彼女は一日中、私からの次に来るメールを待ってくれていたのだと
  あとから聞く。
  分娩室の奥さんを待っている旦那さんになるってこんな感じ?と
  笑って、言ってくれた。本当に申し訳ないことをしました。

  で、多分、そんなメールをして、
  次に、家に電話をかけた。

    私:「今、入院してて、病名が糖尿病だって。」
       (いつ病名を聞いたんだろう???覚えていない。)
    母:「ハハハハ~!(大笑い)そんなバカな。
       いい加減なことを言う医者はヤブ医者だから、早く帰ってきなさい!」
    私:「いやぁ、無理だよ。搬送されるんだって。」
    母:「ハッ???ちょっと先生に代わりなさい!」
    私:「いや、今、いないから、病院に自分で掛けなおして!」

  で、また一生懸命、母に病院の電話番号をメール。
  ひどく手間取って、全然送れない。

  バタバタしてて、何だかよくわからず、
  母親は病院に電話を掛けてくれたのだろうか?
  そんなことを思っていると、
  「救急車が来たから、行きますよ。」と言われる。

  私の身体には、いつのまにか、さらに管が増えていた。
  トイレに行かなくてもいいように、ということらしい。
  自力では歩けないから。
  「オムツもする?」と言われ、それははっきり断ったのだけは覚えている。

  またストレッチャーで移動。
  ベッドからストレッチャーに移動するのも、一苦労。

  そして、2度目の救急車に乗る。
  ふと、気が付くと、彼氏が来てくれていた。
  病院側で、ちゃんと連絡してくれたんだと思った。
   (実は違ったらしいのだが。)
  付き添いで、昨日とは違う別の先生がいた。
  何か、ひどくムスッとしていたのは覚えている。
   (これも理由があってのことだと、後から聞いた。)

  で、搬送される。
  搬送先の病院は、私が頼んだ病院ではなさそうな雰囲気だった。
  このくらいから、眠いと言うか、起きていられなくなってきた。
  ウトウトしていると、病院に到着。

  あとはガラガラ言う音と、
  何か、たくさんの看護婦さんとかお医者さんがいたこと。
  ストレッチャーから、検査室?のベッドに移動するのに、
  自力で移るのが、ひどく辛く、面倒で、痛かったこと。
  『ER』みたいに、「1・2・3!」とかって、
  移動させてくれないんだなぁ・・・などと、考えていたこと。
  検査みたいのが、たくさん続いて、
  何度も移動して、疲れて、痛いし、もう嫌だと思っていた。

  「名前は?」とか、「仕事は?」とか。
  散々、訊かれたりした。
  答え方もだんだん、ぞんざいな感じになってきて、面倒くさい。
  そうすると、「もうちょっとだからね~。」などと励まされる。

  採血も、足の付け根の大動脈から採血するので、
  これが、またすっごい痛い!!!
  「何すんのっ!!!」って、怒りたくなるくらい、痛い。
  しかも、こっちは弱っているのにぃ~みたいな感じで。
  もう心身ともにヘトヘトだった。

  そんなこんなで、ようやく開放されると、
  最後は広い部屋にたった一人。
  あとは機械のピッピッピッという音だけが響いていた。
  やっと眠れる・・・。そう思って、ホッとした気分だった。

****************************************
  運ばれたのは、ICUというところで、普段は滅多に入れない場所だし、
  もっと意識があったら、あれこれ観察していただろう。
  もったいない。
  などと、今はのん気に思う。
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  彼氏によると、
  搬送するときに、付き添ってくれた先生は、
  朝、出勤してきて、私の病状等を当直の先生から聞き、
  怒っていたようだ。それでムッとしていたらしい。
  夜のうちに搬送すべきだとの判断が、何故出来なかったのか?
  みたいなこと、だったらしい。
  そして、彼氏は朝、病院からの連絡が来ないので、
  おかしいと思って様子を見に来てみたら、
  ちょうど私を搬送するところだった、と
  そういうことだったようだ。

  病院側も、みんな慌ててくれていたのだと思う。
  知らぬは当人ばかり。

  彼氏も搬送先の病院まで付き添ってくれたものの、
  私は、何か秘密の入り口(に、見えたと言っていた。)に
  吸い込まれて、みんな行っちゃって、一人取り残されて
  途方に暮れたそうだ。
  人を探して、彷徨うと、待合室で待つように言われ、
  その後、16時ごろまで、ずっと待っていたと
  あとから話してくれた。
  仕事を休ませてしまったんだよね。ごめんね。

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  そして、眠っているところに、母と妹、彼氏が来てくれる。
  私は、誰よりも妹の顔を見て、号泣してしまった。

  妹は子育てで大変なときなのに。私のせいで・・・。
  甥っ子は?預けてきたの?向こうのおうちの誰かが
  子守りのために、仕事を早退している・・・。

  そんなことを一瞬のうちに理解したのか、ものすごく
  迷惑をかけてしまっていることに、気が付いた。のか?

  そして、病気になったことが、この妹に、ではなくて、
  私に起こったことで良かったと、すごく思った。
  これで、良かったんだって。

  3人は、救急の先生と話をしてきたようだ。
  やっぱり私は糖尿病だった。
  何か、糖尿病にも色々型があって、今はまだどちらかわからないと言われた、とか何とか。
   (その後、劇症1型糖尿病と診断されました。)
  母はひどく、険しい顔をしていたけれど、怒ってはいなかった。
  この人はいつも怒っているので、私はいつも逃げるように生きてきた。
  でも、このときばかりは、怒ってはいなかった。
  だから、すごく悲しんでいたのだろうと思う。

  子を思う、母の気持ち。
  私はまだ、子供を産んでいないので、よく分からないでいる。

  彼氏も、初めて私の家族に会って、色々気を使っていることが気配から感じられた。
  そもそも、母親の猛反対を押し切って、始めた同棲生活だったから。
  こんな形で、しかも私を抜いて、2人を会わせることになって、
  心から申し訳ないと、そう思った。

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そうして、私の16日間の入院生活が始まった。
入院中の話は、また別の機会に書こうと思う。

退院後、私は実家に強制的に連れ戻された。
致し方ないことだと、そう思ったけれど、そのときは自分の意志で、戻るのではないという
気持ちのほうが強かった。

でも、私は今も、「自分の意志で」実家にいて、その入院していた病院に毎月、通っています。

実家から病院までは、片道1時間半くらいかかるけれど、なんというか、とにかく安心なのだ。
入院していたこともあるし、最後にちゃんと診てくれたという信頼感もあるし。

本当にもう、新しい病院はいらないよ。
たくさんです。
余程の事情がない限り、通い続けるだろうと思う。

そして、最後になったけれど。

私はこの病気になって、失ったものも、あるけれど、
それよりももっと大きな、多くのものを得たと思う。
なので、
後悔するとか、悔やむということは、最初の頃は多少はあったけれど、今はもうほとんどない。
病気になる前より、ずっと健康的な生活をしているし、
滅多に風邪も引かない。あの憎き便秘もしなくなっている。
だから、普段は自分が病人であることなど、忘れていて、
たまに焦るくらいだ。こんなにのん気で良いのか?と。

そして、それは、
家族や友人、彼氏、職場の人、周りのたくさんの人に
支えられて、私がここに居られることが大きいのだと改めて思う。

仕事も今まで通り、続けることが出来て、
あんなに休んだのに有休もくれました。
ラッシュが大変だろうから、出勤時間をずらしてもいいよ、とまで言ってくれました。

おやつに「これなら食べれる?」と、当たり前のように
ノンシュガーのゼリーを用意してくれた同期の女の子。
一生、忘れないよ。

それから、
今までと変わらずに、笑ったり、泣いたり、ケンカもするし、
分かっているなぁと、ほくそ笑むことや。
その優しさに感激して、うれし泣きもしょっちゅうで。

そんな人たちと、私は一緒にいることができて、嬉しい。
そう。すごく恵まれているんだと思います。
そして、この全部は、生きているからこそ、なんだよね。
もう、一つも、無駄にしたくない。

だから、みんな、本当にありがとう。

こうやって乱文ながらも、去年のことをここに書き記すことが出来たことも。
そうするように助言してくれた、彼女にも。
全て、感謝しています。

ここまで読んでくださった、あなたにも。
読みにくい文章だったと思うのに。

今まで、本当にありがとう。

****************************************
 2005年10月2日。追記。
   最初から読むは、
   ( リンク先参照 → 「 1型糖尿病発覚前(去年のこと)☆その1 」 )
   この前は、
   ( リンク先参照 → 「 1型糖尿病発覚前(去年のこと)☆その3 」 )
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コメント 8

おそで

いろいろ、大変だったのだね....。
でも、キミの周りには、たくさんの、
よき人達が、いるのは、こゝろ強いね。
それは、キミの人柄のよさ(もっと、大きな、何か)
が、あるからだと思うよ。
みんな(おそでんもいれといて)、キミの事が、
だいすきなんだよ。
by おそで (2005-09-04 07:22) 

かものはし

Dear おそで
 アリガトウ~。(泣)
by かものはし (2005-09-06 21:20) 

これ

これを読んで、俺自身も改めて感謝の気持ちを周囲に持ちました。

実際、俺の場合も発病前よりはいたって健康的な生活。
毎朝インスリンを打ちますが、あまりにふつうに過ごすので、周囲は糖尿病であることをしらない人もちらほら

知っていながら特別な扱いをしない周囲と、それをささえてくれる近しい仲間や家族に俺も感謝しきり

ん~俺も同じようなことを書いてみるかな
by これ (2005-09-08 01:20) 

かものはし

Dear これ
 ありがとうございます。本当に。
 でも、後半の部分の感謝の気持ちのところを
 ここに書きたい、書かなきゃと思ったのは、
 「これ」さんのブログを読んだからですよ。
 なので、これからもブログ、楽しみにしています。
 同じ病気の人の話は、やっぱり心強いです。
by かものはし (2005-09-08 21:00) 

ヴァイキン

私も先月Ⅰ型になりました。

医者から病名を言われた時のことは一生忘れないと思います。
今まで入院したこともなく順風満帆な生活をしてきた私は「苦しみながら死ぬのか」などと死の宣告と勘違いしてました。
それからというもの、自らの病気を認めるまでに時間がかかりました。
人生で一番精神的にきつかったです。

退院するころにはだいぶ落ち着き前向きに生きる気力をもてるようになりました。
Ⅰ型は今までの生活をほんの少しだけ注意すれば健康の人と変わらない生活をおくれることに医療のありがたさを感じてます.
特にインシュリン注射の痛くない針の技術には肉体的にも精神的にも救われました。

今まで生きてて当たり前でしたが、医療技術、両親、社会に生かされていることを強く感じています。

友人に「一病息災」と言われました。
まさにその通りだと思います。

10年以内にはこの病気を直せる技術が出ると確信しております。
人間において一番大切なことは「自己管理」です。
この大切さを実感させてくれたこの病気に感謝してます。
今回このブログを読ませて頂いて私にとって励みになったので書かせていただきました。
by ヴァイキン (2008-01-16 16:51) 

かものはし

Dear ヴァイキン
 はじめまして。先月とは・・・。心中お察しします。
 そうですね。「一病息災」。本当にその通りです。
 私のブログで何かお役に立つのであれば幸いです。
 「こんな馬鹿をやってても案外大丈夫なのかも~。」
 なんて、気軽な気持ちになって下さると嬉しいです。
 あと、人生、最後に笑ったもの勝ちだと思います。
 たとえ、どんな状況でも。
by かものはし (2008-01-16 18:48) 

マメ

こんなに居るんですね、一型さん。
私も先日09.11.9に一型と診断されました、現在33歳女性です。
全くをもってそれまでは何も恐れ知らずの健康人でした。

当初は告知されても、何が起こっているのか頭で理解しようとすると、全て冗談のような気がしてしまい(笑)とりあえず、体で注射などの練習と目前の課題をこなしていくことで、段々慣れて事実を受け入れられるようになった感じです。

でも、入院中は糖尿病ですよ、と言われてもまるで他人事のような気がしていたので、注射せず病食をとろうとしたり、よく看護師さんに監視されてましたよ。
今では、退院して一ヶ月になりますがだいぶ自覚もできました。
いや〜、しかし生まれたのが江戸時代とかでなくて本当に良かった!と
思っています。
この調子で、気長に焦らず頑張りすぎずとも多少気を使いながら健康的な生活を心がけたいと思っています。
怪我の功名を信じて、一型になったこの機会利用して合併症はもちろんのこと、他の病になることを防ぎましょうね、皆さん!:)これは、自己管理を見直す絶好の機会です;)

ブログ、とても良かったです。拝見させて頂いて本当にありがとうございました。励みになりました。
by マメ (2009-12-29 16:32) 

かものはし

Dear マメ
 コメントありがとうございます。
 江戸時代だったら、もし、南方先生がいてもインスリン抽出は
 難しかったでしょうしねぇ~。(『JIN-仁-』好きなもので。)
 いえいえ。でも、何かのお役に立てれば幸いです。。
 どうぞ、ご自愛くださいね~。私も気をつけます。。
by かものはし (2009-12-29 19:40) 

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